異文化暮らしには、ある程度の慣れと「ま、しょうがない」が大事という話

一つ前の記事で、イギリス生活の長所と短所をずらずらと書いた。

東京とロンドン、個人的に思うそれぞれの暮らしの長所と短所
日本では生まれてから東京に26年間、イギリスではロンドンに5年半住んできた人間として、2つの都市で生活して感じたそれぞれの長所と短所をシンプルに書き並べてみようと思う。 要は、「日本とイギリスのそれぞれの長所と短所」ってことなのだが、「ロンドンに住むことはイギリスに住んでいると言えるのか、と時々考える」という記事にも書いたように、東京とロンドンしか住んだことがないので、あえて都市に絞って比較する...

どの国に住んでも長所と短所はある。日本人として日本の社会システムや生活の良い点に慣れていると、イギリスでは、「なんでこんなことがー!」と叫びたくなってしまうこともある。

ただ、私はこの国で暮らしていて感じる不便さや欠点のようなものの中で、本気で我慢できないほど嫌いでしょうがない、というものはあまりない。口では愚痴ることもあるし、本当に怒ることだってあるけれど、まあそれをやり過ごしながら、「ま、しょうがない」と思って(ある意味、喉元過ぎれば熱さを忘れながら)生きている。

やっぱり人間は慣れる生き物で、不便さにも慣れてくるのである。

「慣れ」はある意味でのサバイバル術

この人間の「順応」という機能はすごいものだと思う。これがなければ人間は環境に適応できない。

いつまでたっても慣れないこともあるけれど(予約したのに時間を守ってくれない業者とかね……)、たいていのことは、それなりに慣れる。「またか、まあそうだよね、起こると思っていたよ、前もあったからな」という感じになる。日本にはあったけどイギリスには存在しないものも、ないならないなりで成り立つような生活スタイルになる。というか逆立ちしてもないものはないんだから、諦めるしかない。

そこで「ま、しょうがない」と思えるようになるのは、楽しく生きていくうえで大事なのかなと、ふと思った。

「ま、しょうがない」と思えることも大事

異文化で暮らすのは、自分の常識を覆されることの連続だ。良い意味でも悪い意味でも。良い意味ならいいが、悪い意味ならトラブルになるし、心地の良くない思いをする。

もちろん「しょうがない」では済まされないこともある。健康や生命、居住権、人間関係にかかわることなどなど。そうした例外を除いて、私はおおざっぱな性格なので、日常生活の中では「ま、しょうがない」と思考を切り替えることが多い。

だって、ここでの生活で、電車が来ないとか、カスタマーサービスの返事が来ないとか、手続きで担当者によって言っていることが違うとか、(もちろん困るけれど)いちいちキレて引きずっていたらきりがない。

物理的にその状況を対処しなければならないのに、精神面でそんなマイナスの感情にずっと支配されていたくない。なので、一度ムッとしたら、「まあ、死なないし」くらいの感じでその後はあまり考えないようにしている。あとは、次に同じ状況になったことを想定して違うやり方を考えておくとか、もう少し建設的な方向に脳みそを持っていこうとする。

こういう精神的に「流す」作業は、異文化の中で暮らしていくのには大事かもしれない、と思ったりもする。だって、本当にいろいろ起こるんだもの。

逆に言えば、完璧主義というか、何事も想定通りにいかないとストレスをためてしまったり、急な方向転換が嫌いな性質だと、なかなかしんどいと思う。私もたまーにその気が出ている自分に気づくので、「まあ、いいや」と意図的に考える癖をつけているような気がする。

ある人に教えてもらった、海外生活をうまくいかせるたった1つのコツ」という記事でも書いたが、以前人からもらった以下の教えを今でも定期的に思い出す。

全然違う国で暮らすのを楽しむためにはね、『草のように生きる』ことだ。

風が吹けば草は風が吹いた方向にそよぐけど、そのために折れたりはしない。太い木はそよいだりはしないけれど、強風が来たら折れてしまう。風の流れに逆らっているからね。

草のように生きていたら、風が来ても折れることはないよ。

これが心に残っていて、だんだんといろいろなことに「ま、しょうがない」と思えるようになったのかもしれない。

一つ一つの問題にその都度本気で向き合うのも一種のやり方かもしれないが、それは私には荷が重い。疲れてしまう。だから、私はしょうがないかスキルを発動させて、なるべく気楽に生活することを選んでいる。