イギリスで慰霊碑にポピー(ヒナゲシ)の花が捧げられる理由とは

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ロンドン・イギリス生活

イギリスでは時折、赤いポピー(ヒナゲシ)の花を見かけることがある。

戦没者の慰霊碑やモニュメントにポピーの花で作った花輪が供えられているところや、ポピーの花を服に着けている人を見かけることがある。基本的には本物の花ではなく造花である。

この記事では、イギリスで赤いポピーの意味するものやその重要性について掘り下げてみる。

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赤いポピーは戦没者の追悼や軍人支援の象徴

イギリスでは、赤いポピーの花は、第一次世界大戦の戦没者の追悼のシンボルとして広まっている。現在は、その他にテロ行為により亡くなった人の弔いや軍隊・軍人への支援の意を表す意味もあるようだ。

また、この赤いポピーのシンボルはイギリスだけでなくカナダやニュージーランド、オーストラリアなどでも使われているという。

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リメンブランス・デーとポピー

11月11日は、イギリスでは「リメンブランス・デー」と呼ばれる第一次世界大戦終戦を祝う記念日で、戦没者を追悼する式典が行われる。

現役/退役軍人とその家族などを支援する福祉団体のロイヤル・ブリティッシュ・リージョンは、同団体に募金をしてもらった人に赤いポピーの造花を渡しており、このリメンバランス・デーにはその花を身に着けている人をよく見かける。日本の赤い羽根募金と同じシステムである。

赤いポピーの由来

赤いポピーがそのような意味を持つようになったのは、一遍の詩に由来する。第一次世界大戦の戦場の一部となった地に、たくさんのポピーの花が咲いていたという。破壊しつくされ何も育たないだろうと思われた場所に、赤いポピーが育ち花を咲かせていたというのだ。

大戦に従軍したカナダの軍人であり医師、詩人であったジョン・マクレーは、その光景にインスピレーションを受け「フランダースの野に」という詩を作った。

この詩を読んだアメリカの社会活動家モイナ・マイケルが、戦没者の追悼の印として赤いポピーの花を身に着けたのが最初であるという。そして彼女は退役軍人の経済・職業支援をするために、絹製のポピーの造花を売って資金を作った。この活動を通じて、アメリカに赤いポピーは浸透していった。

この運動に関わっていたフランス人のアンナ・ゲランという女性は、1921年にロンドンで赤いポピーを売ることを計画していた。その時に、前述した福祉団体ロイヤル・ブリティッシュ・リージョンの創始者と出会ったことが始まりだった。

その年、彼らは900万個ものポピーの造花を売った。この時から、イギリスで赤いポピーは戦没者追悼のシンボルとなったのである。

赤以外の色のポピー

イギリスで赤いポピーが追悼のシンボルとなってから12年後の1933年、イギリスの平和主義者団体「Peace Pledge Union」が平和主義のシンボルとして白いポピーを採用した。

wikipediaより ©Nankai

イギリスの戦没者のみを対象とする赤いポピーと異なり、白いポピーは世界中の戦争で亡くなった人すべてを悼むものであり、また平和を願い、戦争が祝われたり美化されるべきではないというメッセージを伝えるものでもある。

ただ、赤いポピーと白いポピーのシンボルが生まれてそこまで年月が経たないうちに第二次世界大戦が始まり、イギリスも戦争に再び関わっていったのは皮肉に思える。

その他、現在では戦争の中で死んだ動物のための紫色のポピーや、黒人の戦没者のための黒いポピーなどもあるという。


このように、ポピーはイギリスでは特別な意味を持つ。どこかで見かけたら、戦争にまつわる追悼の意味である可能性が高い。

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