日本の教育課程で英語を習い、大人になってからイギリスに移住して生の英語に触れてきて、肌で感じたことがある。
「たった1つの正しい英語なんてない」ということである。もっと正確に言えば、「正しい英語は人の数だけある」ということ。当然と言えば当然なのだが、日本で英語を勉強しているだけだとわかりにくいことかもしれないと思う。
「たった1つの正解」はないに等しい
もちろん、英語にはある程度の規則がある。それが文法という形で私たちが学ぶものだ。文法的に正しい、間違っている、は大前提としてある。
だが、単語の使い方や、使う単語の取捨選択、発音などは、もう一文一文に「この限りではない」という注釈をつけたくなるくらいに人によって違う。比較的固定されているスペルですら、アメリカ英語とイギリス英語では違う(color/colour、center/centreなど。たくさんある)。でも、どちらも正しい表記である。
英語の学習本は一例である
日本で販売されている数多の英語学習本や教材がある。ネイティブ監修の本や、現地で使うフレーズなど、より実用的、より英語圏のリアルな表現を学ぼうという趣旨のものもたくさん出ている。
だがこれも当然ながら、この監修するネイティブの生まれ育った国や、「現地」がどこなのかによって、使う表現も変わってくる。英語教師にしたって、どこに留学したか、どこで学んだか、どんな先生に師事したかで、触れてきた英語が違うのだ。それぞれ違って、どれも正しい。
それを飛ばして「英語」でひとくくりにしてしまうと、実際にネイティブの英語を聞いて「全然違うじゃん!」となったりする(それはそれで体験として大切だと思うけれど)。
国や個人によって使う表現が異なる
例えば、日本で見かける英単語や英語表現、英語教育は、基本的にアメリカ英語だ。イギリスに住むとそれがよくわかる。日常的な単語として習っていたものが、イギリスの生活では全く出てこないなんてよくある。
身近な例で言うと、subwayはアメリカでは「地下鉄」だが、イギリスでは「地下歩道」という意味で使われる。よほど地下歩道を活用する日々を送っていない限り、イギリスで生活していてsubwayという単語を見聞きすることはほぼゼロである。地下鉄はunderground、ロンドンの地下鉄ならtubeと言う。
もう1つ、文法の例だと、私たちはwantやneedは現在進行形にできない動詞ですよ、と学校で習う。だがしかし、ネイティブも実際はwantingやneedingを普通に進行形として使うことがある(私のイギリス人とのチャットで残っている最近の例は ‘I’m needing to see the doctor very soon.’だった)。
学んだルールは絶対ではない場合もあるのだ。ネイティブが日常では誤った文法を使っているということも多々ある。私たちが日本語を常に文法通りに話さないのと同じである。
こうした、「あの本に載っていたこと/習ったことと全然違うじゃん!」となりそうな例は他にも単語、イディオム、その他表現に限らず多くある。だからといって、教材が無駄とか使えないと言いたいのではない。学習本は勉強に有用である。ただ、世界は広く、1つの本には収めきれないほどいろいろな表現があるということだ。
英語ネイティブだって、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポールなど、国によって文化が違う。そして使う表現や慣用句だって違ってくるだろう。どれも正解で、ただ「違う英語」をそれぞれ使っているだけなのである。
言語に100%なんてない。だからこそ、言語を学ぶのは面白い。
自分がいる環境に、自分の英語は左右される
英語学習において、そうした理由で「ズレ」が生じることは普通にあると思っていたほうがいい。
同じ国にいたって、付き合うネイティブによって自分が選ぶ表現や単語は変わる。例えば、私の夫はドイツ人で、ネイティブとそん色ないと思えるほど英語能力は高い。普段の会話は英語でしているが、その中で、彼と私でもネイティブから身に着けた英語表現に食い違いがあったりする。私は私の周りにいた人たち、彼は彼の周りにいた人々の影響を受けているからだ。
例えば、渡英初期の頃、私が一緒に働いていたイギリス人女子が、職場のゴミを出しにゴミ捨て場に行った時に「stinky(臭い)」という言葉をよく使っていた。私の頭の中には「ゴミ捨て場とかそういう場所で『臭い』と言う時は、stinkyを使っていいんだな」とインプットされたのである。
その後、夫といる時に同じシチュエーションでstinkyを使ったら「smellyでしょ? ネイティブがstinkyって使うの聞いたことない」と言う。「いやでも私の職場ではイギリス人が使ってたよ……」と返すと、「えっほんと? ふーん……そうなのか……」と驚いた顔をしていた。
stinkyとsmellyの定義は、以下である。
stinky: (slang) Having a strong, unpleasant smell/ (slang) Bad, undesirable.
smelly: Having a bad smell
なので、stinkyが日常会話寄りということ以外ほぼ同じなのだが、これも人によって選ぶ単語が違うことの例だ。たまたま夫の周りには、stinkyではなくsmellyを使う人が多かったのだろう。それか、私が会ったイギリス人の表現が少数派なのかもしれない。
当然と言えば当然なのだが、たまに、私の英語はいかに今まで出会ってきた人たちに影響を受けてきたかに気づかされる時がある。
英語はたかがツール、されどツール
要は、英語は他のあらゆる言語と同じように、コミュニケーションや意思伝達のため、また自分が必要な情報を得るためのツールなのだから、伝われば結果オーライなのである。
だが一方で、やはり言語はたかがツール、されどツールで、ものによってTPOというか、適切・不適切、はある。これが非ネイティブにとって難しいところだ。
例えば、ロンドンでは下町なまりの労働者階級の英語である、コックニーと呼ばれる喋り方がある。これも当然ネイティブ英語の一部であるが、私たちが普段見聞きしている英語とはだいぶ違う。
単語内のHを発音しない(hard、ハード→アード)ことや、am not, are not, is notなどの短縮形としてain’tを使ったり、myをmeと言ったり……等々だ。
以前イギリス人から聞いた話で、あるボクサーが全国的なテレビ取材を受けることになった際、彼はコックニー訛りを持っていたため、トレーナーをつけて訛りを矯正したそうだ。そのままだと、一般の人にはすれたような、下品な喋り方に聞こえる(印象が良くない)という理由で。
コックニーを使うコミュニティ内では全く問題ない英語が、あるコミュニティでは不適切と見られる、または下に見られることがある。
これは、時にどうしたって存在するものである。
だから、どのコミュニティから英語を学んでもいいのだが、ものによっては、あるコミュニティではその表現や発音は不適切になる場合がある、ということを頭に入れておいた方がいいのだろう。
それを知らないと、そのせいでチャンスを逃したり、良い評価を受けないことが(コミュニティによっては)起こりかねない。伝わればいいとは言え、そうした認識は持っておいた方がいい。その「感じ」や「ニュアンス」を理解するのは非ネイティブには難しいけれど……。
つらつら書いてきたが、「場所や人によって英語は異なるのを知る」ことと、「いろいろな種類の表現に触れて引き出しを増やすこと」が大切かなと今は思っている。
また「他言語を学ぶことは、その国の文化を理解することでもある」ということも語学学習の本質だなと最近は感じている。
このことはまた別の記事に書いたので、ぜひ目を通してほしい。
コメント