ゴッホ、フェルメール、静物画……アムステルダム国立美術館の注目絵画

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オランダ

レンブラントの「夜警」を見に訪れたアムステルダム国立美術館。国を代表する美術館なだけあって、レンブラント以外にも、ゴッホやフェルメールを始めとして、オランダの巨匠たちの作品が目白押し。

ここでは、美術館内で見つけた絵画の傑作を紹介していきたい。

レンブラントの「夜警」とその他の作品のレポ・解説についてはこちらから。

アムステルダムでレンブラント「夜警」と初期作品鑑賞+レンブラント広場

今回のアムステルダム旅行の目次はこちらから。

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ゴッホの自画像

まずはオランダ出身の大御所たちの作品から。

「自画像」1887年

まるで毛並みのような、力強い筆致が特徴の自画像。ゴッホは自画像を多く描いたが、それはモデル代の支払いをしなくてすむようにという理由だったという。

ゴッホがパリに移った翌年の作品。パリのカラフルな様式に影響され、肌にもさまざまな色が入っている。

ゴッホの絵は、人物画でも風景画でもなんでも、執念のような、冷たい炎のようなものが奥にあるように感じる。色調としては冷たい画面なのに、この緑の瞳は鑑賞者の視線を強く捉えて離さない。

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フェルメールの作品

フェルメールは風俗画の巨匠として知られる。

庶民の人々の暮らしを描いた風俗画は17世紀のオランダで多く生まれた。風俗画といっても特定の人物にフォーカスした人物画や、広い風景を捉えた風景画など、その種類はさまざまだ。

風俗画のいいところは、当時の人々の行動や服装、家や街の様子など、リアルな日常を見られることである。写真が発明されていなかったこの時代の実際の人々の暮らしを知る手掛かりとして、風俗画は大きな役割を果たしている。

「小路」1660年

この作品では、当時の家のレンガ壁の様子、古くなりひびがいっている部分まで明らかだ。素朴な絵なのに、この通りの音や匂い、人々の会話など、さらなる情景が浮かんでくる。想像力を引き出させる絵だ。

フェルメールの絵は、日常をほんの一瞬、ふっと切り取ったように見える。どこを切り取るかは、カメラのシャッターを押す写真家のように、彼のセンスに拠っている。

フェルメールは、カメラ・オブスクラというカメラの原型のような装置を使って描画の参考にしていたという説もある(定かではない)。写真機としてのカメラが生み出されるのはフェルメールの時代より150年以上後のことである。

「手紙を読む青衣の女」1662-63年頃

この作品もそうだ。

まるで、私たち(鑑賞者)は、彼女の部屋を、大事な一人きりの時間を覗き見ているような感覚に陥る。鮮やかな青色にまず目が行ってしまうけれど、次に、これはプライベートな空間なのだ、と気づく。彼女は何を読んでいるのだろう。誰からの手紙だろう。わかる時はこない。

彼女を正面から照らす柔らかな光の表現は見事である。青みがかった腕は、光が当たって白くなった肌をうまく表している。奥に行くにつれ光が届かず暗くなっていく様子は、壁にかかった地図によく表れている。

「恋文」

これはさらに「覗き見」感が強い。手前にこの部屋への入口と、その前にある部屋が描かれているため、実際に彼女の部屋を手前の部屋から覗き込んでいる視線を鑑賞者に与える。

恋人からの手紙を侍女から受け取る女性は、少し困惑気味にも見える。だが侍女は「大丈夫ですよ」と言わんばかりに笑顔を見せる。壁にかかる船の絵は、当時恋愛を象徴する典型的なモチーフであった。

ちなみに、もう1点の有名作品、「牛乳を注ぐ女」は現在日本で開催中のフェルメール展に貸し出されているためここにはなかった。

ルーカス・バン・ライデンの三連祭壇画

「最後の審判」1526~27年

ルーカス・バン・ライデンは16世紀に最も有名だったオランダの画家であり、美術史上の重要性はレンブラントに劣らないという。実際、この作品は歴史上の知名度、重要度から「16世紀の『夜警(レンブラントの作品)』」とも呼ばれる。現在はレンブラントの「夜警」と同じ部屋に展示されている。

アムステルダムでレンブラント「夜警」と初期作品鑑賞(解説あり)+レンブラント広場

この作品を見た時に、ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画「快楽の園」を思い出す人は多いだろう。

この作品も同じく三連祭壇画であり、左が天使の飛び交う天国(ボスの絵はアダムとイブのいる楽園)、右が地獄の風景と、ボスの作品と構成が似ている。ボスほど謎めいてはいないが。

とにかく大きな作品なので、細部を見ていくだけでも結構時間がかかる。ボリューム満点の絵画だ。

この作品の中央パネルには、キリストが人々を審判して、天国行きか地獄行きかを決めているところが描かれている。中央パネル右側には悪魔たちが、左側には天使たちが、裁かれた人たちを連れて行こうとしているのが見える。

棍棒を振り下ろす悪魔。1つしかない胸が垂れ下がった不気味な姿だ。後ろには、悪魔が大きく口を開けて、罪人がその中に吸い込まれている。これは地獄の入口である。

細部を眺め、天国と地獄にいる人々(や怪物)の対比を見るのが楽しい作品。

オランダの静物画・動物画

オランダ美術史は静物画の宝庫である。静物画は、画家たちのテクニックを見せる舞台だ。金属の質感、陶器の質感、食べ物の質感、液体の質感、植物の質感、動物の質感。光の当たり方や陰影。どれほど見事に、そして美しく細部まで描き抜けるか。

ウィレム・クラース・ヘダ「鍍金した酒杯のある静物」1635年

この見事な表現はどうだ。完璧である。

これは実際の作品を近くで撮影したもの。輝く金属とふわふわとしたパンの質感の対比は見ものである。

これはぜひ実物を見てほしい作品。

ちなみに、静物画では多くが象徴的な意味を持つ。右端にある半分剥かれたレモンは、虚無を表す。これは「ヴァニタス」とも呼ばれ、栄華の儚さ、人生の虚しさの寓意である。

ピーテル・クラース「七面鳥のパイのある静物」1627年

1つ前の静物画家、ウィレム・クラース・ヘダと同じ地域で活動した画家。一番目を引くのは、七面鳥の剥製がずどんと乗ったパイ(巨大)だが、なかなか大胆だ。今ならインスタ映え間違いなしである。

ここにも半分剥かれたレモンが登場する。レモンが乗った皿がテーブルの縁から少し飛び出しているが、こうしたセッティングも、立体感を描く技術を見せるためのものであった。

また、左奥の水差しは磨き抜かれたあまりにテーブルの手前を鏡のように映し出している。ここにも画家の妙技が見られる。

ヤン・アセリン「威嚇する白鳥」

おそらく誰の目にも止まるであろう、力強い作品。

白鳥がすさまじい勢いで威嚇している瞬間を、カメラでとらえたような印象を覚える。何に威嚇しているのかというと、(目立たないが)左下に少しだけ見える、巻毛の犬である。川をわたって、この白鳥の巣を狙っているのだ。

白鳥が羽を広げた空間の奥行がしっかりと描かれ、まるで鳴き声が聞こえて来るかのようだ。

画家本人が意図したことではないが、後世にこの作品は、オランダを敵から守ろうとしているオランダの政治家ヨハン・デ・ウィットを表していると解釈された。白鳥が守っている卵に書かれた「HOLLAND」は、画家本人ではなく、後の所有者が書き足したものだ。

バレンド・コルネ・ケケク「森の風景」1848年

オランダでは16世紀以降風景画の制作が盛んとなり、数々の傑作が生まれたが、これもそのうちの1つであろう。この作品は136cm×160cmととても大きい。
この画像ではとうていわからないが、もうとにかく、葉の一枚一枚まで描き込まれているのかというほど細かいのだ。

画面の主役は、森のヌシのようなこの巨大な木なのだが、下に集う動物たちにも注目したい。

これは実際に実物に寄って撮ったもの。羊の毛のふわふわとした感じといったら、手を伸ばしてつかめそうなくらい。どこまで近づいても、その印象と質感は変わることがないのだ。

こんなに細部まで描き出しているのに、柔らかな光の表現も同時に生み出している。技術とはこういうことを言うのだろう。

ヘンドリック・アーフェルカンプ「スケートをする人々のいる冬景色」1608年頃

冬の風景が得意だった画家。カラフルでいろいろな要素が一枚に詰まっていて、見るのが楽しい。

少し寄ってみただけでも、さまざまなものが見えてくる。大きな川が凍っていて、皆滑りながらの移動を楽しんでいる。

手前には椅子のようなそり? に子どもを乗せて遊ばせている母親や、藁の束をかついだ人物がいる。

着飾った馬がそりを引いていたり、転んでしまった人もいる。着飾った集団にお金を恵んでもらおうとする話しかける老人も見える。あなたはいくつ見つけられただろうか? 

面白い人物画

ジョージ・ ヘンドリック・ブライトナー「白い着物の少女」1894年

ハッと目を引いたこの作品。緑の目の少女が、白地に色鮮やかな植物が描かれた着物を着ている場面。画家のモデルをよくしていた16歳の少女だという。

当時の日本にはなかったであろう色鮮やかな絨毯とベッド、そこでポーズをとる西洋人と、着物。後ろの壁も日本風の装飾が施されている。異文化の融合が、違和感なくまとめられているのは見事だ。それは画家の色彩センス、画面内の色の調和に理由があるのかもしれない、と思った。

ブライトナーは日本の版画にインスピレーションを受け、着物を着た少女の絵を13枚描いたという。

ローレンス・アルマ=タデマ「ファラオの初子の死」1872年

これはイギリスの画家による作品。旧約聖書の「出エジプト記」から引用した場面。エジプトの王、ファラオが自分の亡くなった長男を悼むシーン。
ファラオの顔が端正過ぎて最初は女性だと思ったが男性であった。

だらりと力なく横たわる息子の体も、嘆き悲しむ従者たちの顔や体、ファラオの金の冠も彼の顔も、すべて幻のように美しい。だがその一方で、王が唇を噛みしめ嗚咽をこらえるような、痛みと苦しみをくいしばって耐える感情もひしひしと伝わってくる。

上部右側に見えるフードをかぶった客人2人は、エジプトで奴隷として虐げられていたユダヤ人を救いに来たモーセとその兄アロンである。

この息子は、神がエジプトに送った「十の災い」のペストにかかって死んでしまった。これは、ユダヤ人を救うために神が送った災いとされる。この後、モーセがユダヤ人を率いてエジプトを脱出するのである。

バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト「ヴェストファーレン条約締結を祝うアムステルダムの市警備隊」1648年

ヴェストファーレン条約とは、ヨーロッパで起きたカトリックvsプロテスタントの戦争を終わらせた講和条約である。さまざまな国がかかわりすぎていてややこしいので詳細は割愛するが、当時スペインに支配されていたオランダもこの講和会議に加わり、スペインからの独立を果たした。これはそれを祝う宴である。

独立を祝う場であるから、皆盛大に、せわしく話したり飲み食いしている。ここで注目したいのは、細部まで隙なく及ぶ描写力だ。

肉を掴みながら隣の男に振り返る男性。肉を持っている方の手では、小指でも他の食べ物(パンだろうか?)を掴んでいる。ここはなんともリアルというか、人間臭く、身近に思える一面である。彼の衣服の輝く装飾素材や透けた白いシャツの表現も見事である。

右側に座る、黒い衣服の男性が持つ豪華な杯。騎馬像の装飾までしっかりと見える。美しく輝く金属と、その横の羽毛の一本一本まで描かれた鳥の羽の対比が目を引く。

コルネリス・ファン・ハールレム「人間の堕落」1592年

楽園に生まれたアダムとイブが、蛇(擬人化されている)にそそのかされて、禁断の果実であるリンゴを食べている瞬間である。この後、リンゴを食べたことにより人間は原罪を背負うことになり、楽園を追放されてしまう。

画面左端には、時系列的にこれより前のシーンが描かれている。雲の形をした神が、アダムとイブに「知恵の実は絶対に食べてはならない」と説いているところだ。

この実を食べたことで、2人には恥の意識が生まれ、恥部をイチジクの葉で隠すようになった。この場面自体はリンゴを食べる前だから恥の意識はまだ生まれていないはずなのだが、この後の彼らの変化を暗示しているのかもしれない。

2人の後ろには、猿と猫が身を寄せ合っている。人間のような仕草をしているのがちょっと微笑ましくおかしいが、猿は性欲、猫はサタンのシンボルだ。熊も狐も犬もナメクジも、ここに描かれている動物はどれもネガティブなことを象徴する動物である。


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アムステルダム国立美術館

住所:Museumstraat 1, 1071 XX Amsterdam, Netherland

料金:大人17.50ユーロ、18歳以下無料

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