プラハ旅行の思い出を基に写真盛りだくさんでレポート。
今回の旅の目次はこちら。
プラハの特徴とおすすめの見どころ【交通・食事など基本情報あり】
プラハの中心地にはヴルタヴァ川という大きな川が流れており、街が2つに分断されている。
その西側には、最も人気の観光名所の1つであるプラハ城エリアがある。この一角は観光エリアとして囲われており、プラハ城、その歴史の展示、聖イジー教会、聖ヴィート大聖堂、その他歴史的な建築物や展示物を一挙に見ることができる。
この敷地内だけで、1つの街のようになっている。城下町が広がっている感じ。
目次
入場チケットについて
入場チケットは複数の種類があるが、個別の建物のチケットは売っておらず、複数の建物の入場が含まれるプランから選ぶことになる。特に350コルナ(約1750円)と250コルナ(約1250円)の2つのチケットが複数の建物を回れて便利だ。
聖ヴィート大聖堂はチケットを買わなくても入ることはできるが、見学できる部分が少ない。チケットを買えば内部をすべて見ることができる(大聖堂だけのチケットはない)。
私たちは250コルナのプラハ城+聖ヴィート大聖堂+聖イジー教会+黄金の小路が見られるチケットを購入した。
聖ヴィータ大聖堂
聖ヴィータ大聖堂は、プラハ司教区の総本山である。とげとげとした複数の尖塔、ステンドグラス、バラ窓などゴシック様式の美をふんだんに盛り込んだ、14世紀設立の壮麗な建築物だ。
入場時間が12時~16時と短く、人気の観光地なので入るのに並ぶが、流れは早いので1時間とかそんなに待つことはない。私たちが並んだ時は15分くらいだった。並んででも入る価値は絶対にある。
この鐘の音を聞いていただきたい。もうこの素晴らしい響きだけで入信してしまいそうである。
正面には色彩豊かなモザイク壁画が施されている。
こちらは観光客の入口方面。
高い天井を携える内部は、ステンドグラスに囲まれ、これまた眩いばかりの美しさである。
お香が焚かれており、上方は少し煙がかっていた。
細密なステンドグラスは圧巻。複数の作者の手になるようで、ステンドグラスによって作風やスタイルが異なる。
チェコの生んだ芸術家、ミュシャが1920年代にデザインしたステンドグラスもここにある。
人物の表現とこの装飾性、ミュシャを知っている人ならすぐに気づくだろう。グラデーションの色彩が美しい。
さらに詳しくはこちら。
チェコが生んだアール・ヌーヴォーの画家、ミュシャの作品をプラハで見る
壁に沿って、チェコの王家の人々が埋葬されている小スペースが数多くあるのだが、1つ1つが豪奢な祭壇、絵画、ステンドグラスでこれでもかと埋め尽くされている。
下から磔にされたキリスト像を見上げた図。このアングルはなかなかない。
こんな空間が、次から次へと出てくるのだ。もう目が追い付かないほど。
どこを見ても見事な彫刻や浮き彫りが施されている。
この大聖堂は、何世紀にもわたって多くの建築家によってデザイン、改築されてきた歴史の集大成である。設立は1344年だが、実は全体の完成は1929年。600年近くかけて今の姿になったのである。
ネポムクのヨハネの墓
順路を進むうちに突如見えてきた、一際目立つ装飾的な墓。
14世紀ボヘミアの司祭でネポムクのヨハネと呼ばれる聖人のもの(最上部に立っている人物)。ボヘミアとは、歴史的に使われてきたチェコの西・中部を指す地名である。ネポムクとはボヘミアの地名で、彼の出身地であった。
当時のボヘミア王とカトリック教会の対立の犠牲となり、拷問を受けて1393年に殉教したとされる。
後ろから見ると、後光の表現がなんかタケコプターみたいで思わず撮ってしまった。このタケコプター後光は、プラハの他の教会でもちらほら見られる。
ヴァーツラフ1世(聖ヴァーツラフ)の礼拝堂
聖堂内にある豪華絢爛なこの小部屋は、ヴァーツラフ1世の礼拝堂である。先ほどの司祭、聖ヨハネと同じように、ボヘミアの王として実在した人物で、後に聖人となった。
ヴァーツラフ1世が生まれた907年当時、ボヘミアではまだキリスト教が伝わった矢先であった。敬虔なキリスト教徒として育った彼は、王になるとこの大聖堂の前進を建造し、ボヘミアのキリスト教化を推進した。
この礼拝堂は、入ることはできないが、扉越しに内部をこのように見ることができる。床は黒地のタイル、壁はキリストの受難を描いた絵画でうめつくされている。この礼拝堂も14世紀に作られたものだ。
とにかくどこに目をやっても美麗な装飾に溢れている。ここは多くの人に見てほしい。
黄金の小路(ゴールデン・レーン)
16世紀に建設された城下町。城に仕える兵士たちが暮らす場所であったという。現在は人々の暮らしや文化を再現した空間を見ることができる。また種々の土産物屋も軒を連ねる。
ゴールデンレーンという名前は、17世紀にここに住んでいた金加工職人に由来する。
小説家のフランツ・カフカの妹が19世紀にこの一角に住んでいたという。
仕立て屋の再現。ミシンや裁縫セットなどが並んでいる。ベッドが真横にあるので、ここは住居兼仕事場だろうか。
中世の鎧や拷問器具の展示
建物の1つでは、ある展示を行っていた。木造りの階段をギシギシ言わせながら登ったその先に………
大量の鎧が並んでいる。これらはこの街ができるより前の、13~14世紀のもの。
ヘルメットにはさまざまな形のものがあり、これは骸骨のようなデザイン。
こちらは鳥人間になったようなデザイン。機能的ではなさそうなので、実際に戦闘に使うよりも飾りや儀式のためのものだったのではないかと思うのだが……真相はわからない。
奥に進むと、拷問器具を並べた部屋が現れた。はしごのような形をした中央の機械の横にかかっている、じょうろ型の口を持つマスクは、何かを無理矢理飲ますためだろうか……。水を口から流し込んで溺死させるという拷問もあったようだから、それに使われたのかもしれない。
棘だらけの椅子。想像しただけでお尻が痛い。
各種武器を展示する部屋には、こんな変わった武器も。
上はナイフと銃、下は斧と銃が合体したもの。
錬金術師の部屋の再現。奇妙な道具がたくさん置いてある。とはいえ、ゴールデンレーンは一時期、「錬金術師の通り」と呼ばれていたことがあるそうだ。だが錬金術師がここに住んでいたことは一切ないという。謎である。
アイアンメイデン現る
また違う建物に入る。
狭い石造りの階段を降りていくと………
拷問室にたどり着いた。これは人を天井から吊るす道具。蓋がされている床の空間には蛇(または火?)が入っていたらしい。
さまざまな拷問器具が展示されている。斧がでかい……。下の穴が2つ開いているものは足かせ。ここに足を通して固定する。
その中で特に異彩を放っていたのがアイアンメイデン(鉄の処女)!!
中はこんな感じ。無数の針が容赦なく生えている。拷問のためだけに作られた感がひしひしと伝わってくる。
ここに人を入れて閉じると、急所を外してこの針が突き刺さる。入れられた人は死ねずに、ただ苦しみだけを長く味わうのだ。
聖イジー教会
聖ヴィート大聖堂に比べるとスケールはかなり小さい教会だが、創建は902年と大聖堂より早い。ボヘミアの君主であったヴラチスラフ1世により建てられた。
聖イジーとは聖ゲオルギウスのことである。英語ではSt.George(聖ジョージ)と表される。
973年にはベネディクト派修道院が追加で建てられた。中世のボヘミアでは修道院は大変重要な機関であった。
幾度にわたる改修を経て今に至るが、この天井画は900年代オリジナルのものである。
聖人か王族か、誰かの墓があった。
この土台の中には人骨が。埋葬されている人物の骨だろうけれど、本物だろうか……?
プラハ城
プラハ城にも入ったが、見学可能な部分は大変地味であった。大聖堂のインパクトが大きすぎて、ここがかなり見劣りする感じなのが少し残念。この広間の天井は、大聖堂の天井と同じでヴォールトというジグザグ模様の様式である。
プラハ城
住所:119 08 Prague 1, Czechia
このプラハ城の一帯には、美術館や博物館もある。その他避暑用の王宮や庭園(私が行った時は庭園はなぜか閉まっていた)もあるので、散策するには大変いい場所である。
プラハにはこの他にも、小さいが装飾がもりもりの教会が多数ある。それについてはこちら。
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