マルタ島に5泊6日で旅した際に、カタコンベがいくつかあるというので、そのうちの1つに行ってみた。
何を隠そう、私はカタコンベが大好きである。
カタコンベとは
主にヨーロッパ文化圏で見られる地下にある墓のこと。
今までフランスやオーストリアのカタコンベに行ったことがあって、そこでは地下の洞窟のような場所に、頭蓋骨が所狭しと並べられているという様子だった。
私はお化け屋敷もホラー映画も嫌いだしゾンビも苦手だが、カタコンベは不思議と怖くないのである。墓だと認識しているからだろうか。
むしろ大変興味深い。数百年~数千年前に死んだ人の頭蓋骨を今自分が見ている非現実さや奇妙さが、なんともおかしいのだ。
頭蓋骨を並べて神聖な場所にする、って発想はなかなか出てこないだろう、と思う。なにせ一歩間違えば「気持ち悪い」のだ。
今回、マルタ島の旅で、カタコンベがいくつかあることを知った私は喜びいさんで見に行ったのだった。
だが、私の期待は裏切られた。
これはカタコンベ側が悪いのではなく、完全に無知かつ事前リサーチ不足だった私側に非があるのだが、同じ人が現れないことを願ってこの記事を書こうと思う。
聖パウロ・カタコンベ
古く見える建物だらけのマルタでちょっと浮いているこの近代的な建物は、マルタ内で有名かつ巨大な、「聖パウロ・カタコンベ」の入口である。図書館かと思った。
この時点で私が今まで見たことあるカタコンベと違う。ここでもっとリサーチをしていれば、後のような落胆にまみれることはなかったはずなのだ。
古代ローマ時代に人を埋葬するのに使われていたというこのカタコンベ、かなりの歴史がある。
最初にちょっとお勉強コーナー的な展示室があって、それを抜けると、大小複数のカタコンベが立ち並ぶ敷地に出る。全部で20棟くらいあるのではないかと思う。
階段を下りていざ、地下へ!
中は枝分かれしていてまるで迷路のようだ。
だが……
……?
……?
……?
いない! どこにも骨がないぞ!! 一体もいないぞ!!
そう、どのカタコンベに入っても、骸骨は全く現れない。もぬけの殻なのだった。
先に抜けてきたお勉強コーナーによれば、当時はこんな風に↓死者が埋葬されていたとか。しかし、もう骨はすべて取り除かれている。
こんなのただの洞窟である。
カタコンベには骸骨が並べられているものだと思い込んでおり、このカタコンベに衝撃を受けた私は、一抹の希望をまだ抱きながら他の棟も見て回った。
骸骨を求めてふらふらとさまようゾンビのような私は、結局全く骨のないカタコンベに大いに落胆したのであった。
唯一見つけた面白いものは、当時壁に書かれた図と文字。なんて書いてあるのかはわからないが、浅い浮き彫りのように船のような絵と文字が遺されている。
「カタコンベ」は墓所と言う意味なのだから、墓所として使われていれば骸骨がいなくたってなんの問題もなく「カタコンベ」なのである。これは私の独りよがりの期待から生まれてしまった失望だった。
もっときちんと調べてからいけばよかった……。
カタコンベは墓以外に何に使われていたのか
せっかくなので、お勉強コーナーから得た知識を紹介。
墓以外の用途でも、カタコンベは時代によって様々に使われてきたようだ。
- 中世にはゴミ捨て場として使われていたらしい。ひ、ひどい……。
- 中世後期にはいくつかのカタコンベが「地下の教会」として機能していた。神聖な祭事の場としての素質は十分だろう。
- 第二次世界大戦時には防空壕として、また古代ローマ遺跡の発掘物を隠すために使われた。
防空壕として利用していた人の回想録によると、「中は骸骨だらけだった」そうなので、当時(1940年代)はまだ骸骨がいたのだ……悔しい……。また「迷路のようなので、遠くに行きすぎないように気をつけていた」とも。
その他トリビア
- 数年前まで、マルタでは学校で「このカタコンベは、古代ローマ時代に迫害されたキリスト教徒が身を隠すための場所として使われていた」と教えていたそうだが、それは以下の理由から間違いであるとわかったらしい。
-マルタには4世紀(古代ローマ時代末期)までキリスト教はやってこなかったし、迫害された人もかなり少なかった。
-当時はカタコンベの場所はよく知られており、隠れる場所としては向かなかった。 - 学者の中には「このカタコンベは巨人が掘った」と言い出す者もいた。人ひとりまともに立てないくらい天井が低いのに。
- ちなみに、このカタコンベの近くにもう1つ「聖アガサ・カタコンベ」があるが、調べた結果、やはりもぬけの殻状態なのは一緒であった。
聖パウロ・カタコンベ(St. Paul’s Catacombs)
住所:riq Sant Agata RBT 2013, Hal-Bajjada, Ir-Rabat, Malta
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