大英博物館の日本展示室で一番人気はサムライの甲冑

2018年5月23日

日本人なら見ておきたい、大英博物館の日本セクションの続き。ここでは観光客に一番人気のサムライの甲冑と伝統芸能の展示を見せるよ。

※展示されている解説を和訳+自己リサーチして紹介しています。

SAMURAI

みんな大好きサムライ。この甲冑の展示にはいつも人が群がっている。集団で甲冑をスケッチする子供たちなどもよくいる。

1500~1800年代に作られた、もとはバラバラの出自のパーツを組み合わせた甲冑らしい。

1500年代にポルトガルから鉄砲が伝来してから、鉄砲玉を防げるように厚い胸当てが作られるようになった。

刀 宮入昭平 1963年

武士文化の象徴である日本刀。その鍛冶技術を保持するために、現代の刀匠も努力している。これを作った宮入昭平氏は人間国宝。

この刀は故Geoffrey Stephen Hamiltonというイギリスの有名造園家のために作られたもの。

このように緩やかに弧を描くような形に仕上げる、日本刀の大変高い鍛冶技術は、平安後期にはすでに確立していたとされる。日本は立派な刀国家だったのね。

鎖国時代の海外とのかかわり

異人街「長崎唐人屋敷図巻」1700年代

長崎の中国人街の様子を描写した絵巻。中国人との違法な貿易を取り締まるため、幕府は1689年から1859年まで、長崎に外と隔てられた中国人街を作り、中国の商人を隔離した。ここには2000人程度が住んでいたと言われている。

それでも、厳格に監視されていたオランダ商人に比べれば、中国商人は好きなように出入りできていた。中では、この絵に描いてあるとおり、音楽を奏でたり、賭博をしたり、ガーデニングをしたりと好きなように生活できていたようだ。

ここには娼婦と役人しか入ることができなかったとされている。娼婦の権限が割とすごい。

「日本誌」E.ケンペル

ドイツの博物学者、ケンペルが2年の日本滞在で見聞きしたことをまとめた本、「日本誌」の1ページ。

大英博物館のルーム1、「王の図書室」という広い展示室にもこの「日本誌」フランス語バージョンが展示されているよ。→大英博物館のルーム1「王の図書室」見どころを全部紹介するよ!–「JAPON」と書かれた不思議な『日本誌』のイラスト(1729年)

このイラストでは、江戸の将軍に謁見する東インド会社の西洋人の様子を描いたもの。ケンペルも東インド会社の一員だったので、この場にいたんだろう。中央で立っているのが西洋人。

当時、鎖国時代の日本に入ることを許された西洋人は、オランダの東インド会社の会社員だけだった。

この当時の将軍は、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉。

ちゃんと襖に書いてある絵(松かな?)まで記録してあるのがすごい。

日本から西洋へ輸出した焼き物

色絵象置物 柿右衛門様式 1660~90年

西洋の貴族やお金持ちがこぞって東洋からの輸入品を買っていた時代、日本からも西洋へいろいろなものを輸出していた。これはその一部。

柿右衛門様式とは、17世紀に初代酒田柿右衛門が確立した、白磁に赤絵の様式のこと。

どちらかというとこの派手さは中国ぽい、と思うんだけれど、実はこれは中国の有名な磁器どころ、景徳鎮にも影響を与えたという。

日本が発信側だったのか…!陶磁器に関しては、中国→日本の流れしかないと思い込んでいたので、逆もあったことにびっくり。

西洋から日本へ輸出された時計 

逆に、日本が西洋から輸入したものもたくさんある。

これは時計の仕組みを、日本語で解説した本(1796年)。

最初の時計は1550年に輸入された。1800年代半ばまでに西洋時計の技術を日本の職人たちが会得し、日本独自の時計も作られるようになった。

今のようなきっちりとした1日24時間の時間の概念が日本に入ってきたのは、江戸時代だったのだ。そう考えると割と最近だ。

ではそれまで日本ではどうやって時間を把握していたのかというと、「不定時法」というもので、日の出と日の入りを基準として昼と夜をわけ、ぞれぞれを6分割してだいたいの時刻としていたらしい。

その時刻は、干支にちなんだ名前がつけられた。亥の刻、丑の刻などのアレだ。

江戸のような都市では太鼓を鳴らして時刻を告げる時間番みたいな仕事があったらしいが、地方や小さい村では寺の鐘が時計代わりになっていたようだ。

このやり方だと、季節によっても日によっても時間の間隔は違ってくる。

昔の日本式の時計 櫓時計(やぐらどけい)1700年代

これは日本で作られた、漆塗りで螺鈿が施されている背の高い時計。一番上の部分は秤のようになっていて、その重さによって、針の進む速度が変わる。

真ん中文字盤は、上に書いた「昼と夜をそれぞれ6分割したもの」だ。時刻を表す干支が書かれている。これを調整する係がいて、上の秤の重石を調節し、時計の針が進む。

日本が正式に西洋の時間割を採用したのが1873年。それまで、日本ではこういう日本式時計を使ったりして時間を把握していた。

側面には螺鈿で詩や絵が施されている。

伝統芸能

能と舞楽

(右の白い面)能面 泣増女 憲成 1700~1800年代
(右の赤い面)能面 猩々 氷見宗忠 1800年代
(左)舞楽面 蘭陵王 1800年代

能に使われるお面。能は1300年代から、神社や寺で行われてきた。

赤い面は、猿の妖怪である猩々(しょうじょう)のお面。人間に見えるのだが…。日本では猿に似た架空の動物とされているが、古代中国の文献では豚に似ているとか、犬に似ているとか、外見の言い伝えは様々らしい。

能では猩々がお酒を飲んで酔って踊る場面を演じる。

舞楽は、雅楽と舞踊を合わせた日本の伝統芸能だ。舞楽の舞踊は能の踊りと似ている。

舞楽の「蘭陵王」という禍々しいお面は、これ、何かの妖怪だと思っていたのだが、歴史上実在した人物らしい。人間なのか…。

6世紀の中国の皇族で、美男子でありながら勇猛な軍師で、人に慕われたようだ。日本にもその逸話が入ってきて、舞楽の演目となったらしいが、

美男子…?(真顔)

ならもっと美男子のお面にしてあげればいいのに…。これは竜の頭を模したお面らしい。強さの象徴だろうか。

「舞楽図巻」水野 廬朝 1816年

この絵は、実際に江戸城で行われた舞楽の様子を描いた、当時の芸能の様子を正確に伝える貴重な資料だ。

この人たちは雅楽パートで、舞踊をする人は描かれていないぽい。一番右の太鼓を叩く男性は、演目全体の「間」を指揮するリーダー役だ。

とても鮮やかな衣装と舞台がお洒落。舞楽は700年代に京都、奈良、大阪で生まれ、もとは天皇に披露する芸能だったが、武家文化になるにつれ、将軍も鑑賞するようになった。

この画家は徳川幕府お抱えの絵師だったそうだ。

歌舞伎

(右から)五代目市川海老蔵、二代目尾上多見蔵、八代目市川團十郎 歌川国芳 1842年

人気の歌舞伎役者を描いた版画だ。2人の相撲取りが出てくる話で、それを演じたのが右と中央の2人だそう。確かに、ポーズが相撲取りだし体も大きく見せている。衣装も当時の相撲取りのものなのだろうか。

俳優三十六花撰 歌川国貞 1835年

歌舞伎俳優画集。

1833年にデビューした、まだ若い八代目市川團十郎の登場を祝って作られた本とされる。市川團十郎は右、薬売りに扮して描かれている。

このカラーバージョンの少し前に出版された モノクロームバージョンもあるらしい。


これで、大英博物館日本展示室の見どころ紹介は終わり。

この展示室には、日本政府、在英日本大使館をはじめ、日本の企業も複数スポンサーとして貢献している。

住友とか東芝とか、なじみのある社名が見えますね。あと真ん中あたりにあるSainsburyというのはイギリスの大手チェーンスーパーの会社で、大英博物館にも専用の展示室を持っているくらい、文化保存には熱心な企業。

企業の社会貢献(世界貢献?)というのはこんなところでも役立てられているんだな、としみじみ。

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