ロンドン科学博物館「The Sun」:太陽と人類の歴史を見せる大規模展

2018年10月6日イギリスのアート情報, アート情報・展示レポ

ロンドン科学博物館の特別展「The Sun(~2019年5月6日まで)」のプレス内覧会に行ってきたので、その内容をレポしたいと思う。

この世の森羅万象にかかわっている存在の一つ、「太陽」について、古代から現代まで、人間が解釈、享受、利用してきた歴史と技術を伝える展示だ。

解説を訳し、独自の感想も加えつつ、面白かった展示品を紹介していく。物事のつながりをわかりやすくするために、実際の展示順とは変えている部分が少しある。

ここが入口。

展示室の外には、太陽を表したインスタレーションが設置されている。

古代から人間にとって太陽は特別なものであった

昼と夜を分け、命を育て、季節を変え、環境を変える太陽は、古代から人間の崇拝と畏怖の対象であった。そしてそれは、自然に宗教や信仰とも結びついた。

トロンハイムの太陽の馬車(複製)銅製 デンマーク出土 紀元前1400年頃 

「太陽の馬」が太陽を引いている。この太陽の馬車は、北欧神話に登場する。古代の人々は、太陽が自分の周りにある移動手段と同じ物を使って動いていると考えた。船や動物などである。

太陽の軌道を保つための儀式に使われていた可能性があるという。

バビロンの石板 紀元前600~700年

ここには、太陽の表面に見える点(黒点)について書いてあるという。紀元前の時代から、人類は太陽の黒点を発見していたのだ。また、白い点(白斑のことか)が表れるのは、飢饉の証だとも書いてあるらしい。

薬屋の看板 1700~1900年

世界中の数多くの文化で、太陽は癒しや健康と結び付けられてきた。西洋ではギリシャ神話の真実と治癒の神アポロと結びつき、薬局はこのような太陽の姿をしたアポロ神のモチーフを掲げていた。

太陽の利用:時間を告げる

人間は徐々に、太陽を時間を把握する道具として使うようになっていった。

ビザンツの日時計 500年頃

世界で2番目に古い歯車を持つ機械であるこの日時計は、時間を告げるとともに暦の役割も果たしており、文字盤は7日で1週間を表している。

アングロサクソン族の日時計(複製) 1055年頃

初期の日時計は、祈りの時間を把握するために作られた。当時のキリスト教徒は、太陽の位置で礼拝の時間を決めていた。これは教会の壁に彫られていたものだという。放射状の線で1日を8つの区切りに分け、先が十字になっているのが祈りのタイミングだ。

すでに、現代の時計にそっくりである。確実に、日時計は時計の祖先なのだ、歴史の中で物事がつながっているのだと思わせる。

ゴンドラ型の日時計 ヴェネツィア 1400年代

天国について研究している、教会の位の高い人物が持っていただろうとされる日時計。街や都市ごとの緯度のリストが書かれており、旅をする際に使われたのではないかと考えられている。

Compendium Sundial 1566年

富裕層の持っていた時計だという。この日時計には感動してしまった。華麗な装飾もさることながら、その高い機能性にだ。

日時計は普通、特定の緯度の時間しか見られないが、これには6つの盤面がついており、緯度の異なるヨーロッパの旅をするときに、現地の時間に合わせることができた。一つ上で紹介したゴンドラ型のものもそうだが、500年ほど前に、すでに時差を把握する技術があったのだ。

イスラム教地域の日時計 1650年頃

礼拝の時間を告げるためと、メッカの方角を指し示すために使われていたとされる。イスラム文化独特の文様の美意識がここにも表れている。

時計の登場

ランタン時計 1688年

やがて、時間を告げる機能に特化した時計が登場する。

機械仕掛けの時計は欧州で生まれたのは遅くとも1300年代とされる。しかし、正確性はあまりなく、日時計と比べ1日で15分のズレが生じたとされる。そのため、当時は時計を合わせる指針として日時計を使わざるを得なかったという。

こうしたズレに対処する技術も向上し、時計の性能が良くなってくると、人は時間にかんして太陽よりも時計に頼るようになった。

日時計が日が出ている時にしか機能しなかったのに対し、時計はいつでも使うことができた。そのため、時間を告げるという太陽の役割は徐々に必要なくなっていった。

日本のランタン時計 1800年代

日本は、夜と朝を6時間ずつに分けるという独自の時間制度を持っていた。文字盤を見ればわかるように、1時間ごとの分類には干支の動物の名が使われている。

当然、年間の日照時間の変化によって、1時間の長さは変わってくる。この制度は1870年代まで採用されていた。

太陽が回っているのか、地球が回っているのか

朝と夜があることから、地球又は太陽に何らかの動き(回転)があることは、古代から知られていた。しかし、太陽が動いているのか、地球が動いているのかは、歴史の中で何度も議論されてきた。

レギオモンタヌス「プトレマイオスの天文学大全の抜粋」 1496年

古代ローマ時代の天文学者プトレマイオスの天文学大全「アルマゲスト」を後の天文学者がまとめたもの。当時は正しいと信じられていた地動説(太陽が地球の周りをまわっている)を主張している。

中世の欧州では、プトレマイオスの説が広く信じられており、自分たち人間が宇宙の中心、創造の中心だと考えられていたのである。

これに異を唱え、地球が太陽の周りを回る説を提唱したのが、大天文学者ニコラウス・コペルニクスである。1543年、彼の死と同時に地動説が世に出たが、支持はされなかった。

ガリレオ・ガリレイの地動説

ガリレオの望遠鏡(複製)1610年頃

そして、コペルニクスの死から20年ほど後に生まれたガリレオ・ガリレイは、科学革命を起こした一人であり、また西洋人で初めて望遠鏡を使い太陽の黒点を発見した人物である。

これが彼の使っていた望遠鏡。彼はこの望遠鏡を覗いて、太陽の黒点が時と共に移動するさまを見たのだ。

ガリレオ「太陽黒点論」1613年

その観察した黒点に関する彼の論をまとめた本がこれである。黒点の様子が詳細にスケッチされている。右ページ上部には小さく「ガリレオ・ガリレイ」の文字が見える。

ガリレオがコペルニクスの地動説を支持して、天動説を支持していたカトリック教会に裁判にかけられ、有罪となったのは有名だ。

2回の裁判を経て、1633年、ガリレオは地動説を放棄する文言を読み上げさせられ、すべての役職をはく奪されて自宅から離れた場所に監視付きで軟禁された。

この裁判から350年後の1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオ裁判が誤りであったとし、ガリレオに謝罪している。

地動説の太陽系儀 1712年

地球が太陽の周りを回る仕組みを再現するための模型。これは「太陽系儀」と呼ばれた最初の模型である。この頃には、よやくコペルニクスが唱えた地動説について考える人が出るようになっていた。

太陽が健康に及ぼすメリットの発見

1880年代までに、科学者たちは、太陽光の紫外線が結核菌を殺すことを発見した。そして人々は、病気を治すために太陽光を使い始めたのである。

子供用運搬車 1890~1920年

結核にかかった子供を太陽に当たらせるために運ぶ車。当時は、空気も栄養状態も悪いスラム街の子供たちに結核が蔓延していた。

ケロッグ 電気光浴装置 1890~1920年

コーンフレークの「ケロッグ」の生みの親、ケロッグ博士による発明品。

彼は斬新な健康法を多く生み出し、菜食や浣腸なども提唱したとか。
色々な器具も発明しており、これはその一つで電気の光を浴びる装置で、糖尿病や貧血に効くとされた。欧州やアメリカで広まり、ドイツでは特に人気で、王宮にまで設置されていたという。

効果があったのかどうかは…今使われていないから、ないってことなのかな。

デメリットの発見

だが、太陽光は浴びすぎれば有害にもなる。1900年代後半になると、欧米で日光浴が流行し、人々はこぞって暖かい場所にホリデーに出かけ、日焼けをするのは一種のステータスとなった。

だが、その頃から皮膚がんの割合が急増した。そして研究が進むにつれ、太陽光が皮膚がんの原因となることが判明したのである。それから、日焼け止めや日傘を使うように推奨するキャンペーンが始まった。

イヌイットのゴーグル 1800年代

それより以前の時代から、人々は太陽光のデメリットは知っており、大事な器官を守るための道具も開発されていた。

イヌイットは、紫外線による雪目の発症を避けるため、3000年以上ゴーグルを使い続けてきた。

ゴンドラ乗りのサングラス ヴェネツィア 1780年

これは世界初の日よけのための眼鏡(サングラス)だと言われている。ヴェネツィアのゴンドラ乗りたちが、水面に反射する太陽光から目を守るために着用していた。

太陽を撮影する

フォト・ヘリオグラフ 1857年

これは、太陽の写真を撮るために作られた最初の装置。最初にスペインで太陽を撮影した後、西ロンドンのキングス・オブザバトリーに設置され、毎日太陽の写真を撮るのに使われるようになった。

太陽黒点の写真 1870年

これがそのフォト・ヘリオグラフで撮った、9日間の太陽の写真である。はっきりと黒点が映っている。ちなみに、これを撮影したエリザベス・ベックリーは、天体観測所で働いた最初の女性である。

NASA 異なる光の波長を撮影した太陽の写真 2015年

数分の間に撮られた異なる光の波長の太陽の写真。カラフルで綺麗だが、この色自体は後から波長の種類を把握するために後から着色されたもので、元の写真はモノクロだという。

太陽が引き起こす災害は、いつか必ず起こる?

ちょっと怖い可能性を示唆しているコーナーがあった。

1859年、いきなり世界中でオーロラが観測されだした。空は紫や緑に染まったという報告があちこちから出た。当時、長距離間のメインの連絡網は電報であったが、オーロラが出現したのと同時に、その電報のネットワークが世界中でまったく使えなくなってしまった。

電信機器は電気ショックが起きたり、スパークしたり、煙が出るなど、世界中で危険な故障が相次いだ。

リチャード・キャリントンのスケッチブック 1859年

同じ年、イギリスの天文学者であるリチャード・キャリントンは、太陽の黒点の上に大きな光が現れたのを観測した。現在ではこれは「太陽フレア」というものだとわかっている。右ページに、黒点がフレアを放出する様子がスケッチされている。

キャリントンは、オーロラと電報の故障、そしてこの黒点の上の光は関係があるのではないかと考えた。事実それは正解であり、彼は「太陽嵐」を発見したのである。

巨大な太陽フレアが発生すると、多量の太陽風が放出され、その中に含まれる電磁波・粒子が地球にまで甚大な影響を与える。これが太陽嵐である。オーロラや無線の故障もこの影響の一部だ。

太陽嵐は何度も起こっているが、キャリントンの時のそれは、記録史上最大のものだとされている。近年では、2012年に同程度の太陽嵐が地球をかすめていったとNASAが発表した。

展示室内にあった動画は、こういった文言で締められていた(覚えてる限りで翻訳したので、多少違いがあるかも)。

現代社会は、多くのエネルギーを電力に頼っている。もしこの太陽嵐が現代で起こったら、その被害は計り知れない。この現象は「起こったら」ではない。必ず起こる現象なのだ。問題は「いつ起こるか」なのである。

当然なのだが、人間は太陽、自然をコントロールすることはできない。自分たちに便利なように、解釈や利用はできるが、それ以上のことはできないのだ。それを思い知らされたような展示であった。


ロンドン科学博物館「The Sun(~2019年5月6日まで)」

住所:Exhibition Rd, Kensington, London SW7 2DD

料金:£15~