「本物を見る」ことが人生でいかに大事であるかという話

アート情報・考察
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「本物を見る」ことの大切さを、経験を重ねるほど実感する。

本物、とは「実物」「オリジナル」などの意味だと思ってもらえばいい。

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実物と複製品は違う

この世のすべてのものに当てはまるわけではないかもしれないが、目の前にある実体、実物からしかくみ取れない何かは絶対にある。

好きなものだからこそ、本物を見たほうがいい。

個人的な経験の一例として「美術品」をあげてみよう。

肉眼で気づくもの

美術が好きでイギリスへ移住した私は、頻繁に美術館へ出かける。

ロンドンの有名な美術館であるロンドン・ナショナル・ギャラリーに、ディルク・ボウツのキリストを描いた絵が所蔵されている。ボウツは私が大学時代に、研究までは全然いかないが、ちょっと調べたことのある北方ルネサンスの画家だ。

当時は、さんざん文献資料でこの絵を見ていた。いやになるほど見た。でも、実際にナショナル・ギャラリーに行って、この絵を目の前にして、自分は何も見ていなかったんだということがわかって愕然とした。

ディルク・ボウツ「Christ Crowned With Thorns」1470年頃

それはこちらの絵である。拷問にあったキリストが涙を流して悲しみをあらわにしている。極端に感情的な表現で描かれているのが特徴だ。

写真やウェブ上の画像でも、この絵がいかに写実的に、ボリュームを持って描かれているかは伝わってくるだろう。キリストの涙の粒の表現は見ものである。

だが、本物では、実物より細い髪の毛や髭の細かさ、手の傷口の青くなった皮膚、そしてなんと乳首の毛が生えているなど、画像ではわからないことをたくさん発見した。

乳首の毛に感動したというとふざけているように聞こえるが、私は真面目である。そんな毛まで描いていることが私には衝撃だった。キリストをそんな生々しく描いちゃうんだ……というおかしさと、どれだけ写実的に描きたかったんだこの画家は、という驚き。

青くなった傷口の拡大図はこれだ。先述した毛も見えるかな?

こうして高画質の画像を拡大すればわかるが、ネット上で見る時に、知らなければわざわざ拡大はしないだろう。画集で見た時でも、よほど部分拡大をした画像でないとここまでは見えない。

一方、人間の目は絵画を見た瞬間に全体像を把握し、細かく描かれた毛や、肌の絶妙な色使い、絵の具の質感などを認識する。

文献で読んだ解説や描写は、実物の絵を見た瞬間に彼方へと消えた。画家の技量、描くことへの妄執的な熱量、作品からにじみ出る静謐さ、荘厳さ。どんなに本で読んでも、画像を見てもわからなかったものを、一瞬で理解した。百聞は一見にしかずというのは本当なのだ。

作品のサイズ感も重要

また、美術品でいえば、どんな精巧な画像でもカバーできないものにサイズ感がある。大きさは、作品の印象に多大な影響を与える。

あの有名な「モナ・リザ」が、実物を見たらかなり小さくて拍子抜けした、という話をよく聞く。逆もそうだが、これは複製(画像)と実物の大きなギャップである。

私がクラシック美術を好きになったきっかけの作品に、ジャック=ルイ・ダヴィッドの「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」がある。

有名なこの作品、歴史の教科書にも載っていたような気もするが、実物は壁画かと思うほどのとてつもない大きさなのだ。ルーブル美術館で初めて見た時に、私の視界はこのキャンバスいっぱいに支配されてしまった。

巨大な作品は、その質量だけでも人を圧倒する。そんな巨大なものに、高い技術や観察眼、表現力が注入されていたら、度肝を抜くような作品になるのは当然である。また、近くで見た時と遠くから見た時の違いも大きい。こうしたことは実物を見なければ感じられないことだ。

もちろん大きい方が常に良いというわけではなく、小さな作品でも違う発見がある。手のひらサイズの画面や工芸品に細密なモチーフが描かれていたり彫られていたら、その超絶技巧に息を呑むだろう。

そこまで極端でなくても、美術作品とは、一定の決められたサイズの中で芸術家が技と能力を凝らして表現を行った結果である。その大きさを前提とした表現がなされているのだ。大きさなくしては、作品の本質を感じることは難しい、と私は思う。

五感の能力をもっと使うべきだ

「本物を見る」と言ったが、聞くでも、味わうでも、なんでもいい。

上であげた例は主に「視覚」を使っているが、これはいかに人間の目が精巧かの証明だ。どんないいカメラやレンズを使っても、人間の目には敵わない。それは他の器官でも同じである。

聴覚でも、触覚でも、味覚でも、嗅覚でも、本物を体験すると、驚きや感動が待っている。人生に感動(刺激と置き換えてもいい)がもっと増えたら、それだけで楽しい。生きている甲斐がある。

「本物」に触れようとするだけで、ワクワクする人生は能動的に作り出せると思う。

人生を本物で満たしたい

人生を本物で満たしたい、と思う。もっといえば、本物を体験し続けたいと思う。

死ぬまでに、できるだけ本物を見れるだろうか。どれだけワクワクできるだろうか。

リアルに勝るものはない。これは断言できる。

今は便利な時代で、時でも場所でも簡単に超えられる。だから、人は簡単に怠惰になれる。

でも「手短にすませればいいや」というようにはなりたくない。せめて、自分の好きなことくらいは。

油断すると、「本物でなくてもいいや」となりがちな自分に対しての戒めもこめて、「本物にもっと触れる」ことの価値を強く心に刻み込んで日々過ごしていきたい。

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