「本物を見る」ことが人生でいかに大事であるかという話

2017年10月29日アート情報・展示レポ, その他アート考察・雑記

「本物を見る」ことの大切さを、経験を重ねるほど実感する。

本物、とは「実物」「オリジナル」などの意味だと思ってもらえばいい。

本物と複製品は違う

この世のすべてのものに当てはまるわけではないかもしれないが、本物からしかくみ取れない何かは絶対にある。

好きなものだからこそ、本物を見たほうがいい。

個人的な経験の一例として「美術品」をあげてみよう。

美術が好きでイギリスへ移住した私は、頻繁に美術館へ出かける。

ロンドンの有名な美術館であるロンドン・ナショナル・ギャラリーに、ディルク・ボウツのキリストを描いた絵が所蔵されている。ボウツは私が大学時代に、研究までは全然いかないが、ちょっと調べたことのある北方ルネサンスの画家だ。

当時は、さんざん文献資料でこの絵を見ていた。いやになるほど見た。でも、実際にナショナル・ギャラリーに行って、この絵を目の前にして、自分は何も見ていなかったんだということがわかって愕然とした。

ディルク・ボウツ「Christ Crowned With Thorns」1470年頃

それはこちらの絵である。拷問にあったキリストが涙を流して悲しみをあらわにしている。極端に感情的な表現で描かれているのが特徴だ。

写真やウェブ上の画像でも、この絵がいかに写実的に、ボリュームを持って描かれているかは伝わってくるだろう。キリストの涙の粒の表現は見ものである。

だが、本物では、実物より細い髪の毛や髭の細かさ、手の傷口の青くなった皮膚、そしてなんと乳首の毛が生えているなど、画像ではわからないことをたくさん発見した。

乳首の毛に感動したというとふざけているように聞こえるが、私は真面目である。そんな毛まで描いていることが私には衝撃だった。キリストをそんな生々しく描いちゃうんだ…というおかしさと、どれだけ写実的に描きたかったんだこの画家は、という驚き。

青くなった傷口の拡大図はこれだ。先述した毛も見えるかな? 

こうして高画質の画像を拡大すればわかるが、ネット上で見るときに、知らなければわざわざ拡大はしないだろう。画集で見たときでも、よほど部分拡大をした画像でないとここまでは見えない。

一方、人間の目は絵画を見た瞬間に全体像を把握し、細かく描かれた毛や、肌の絶妙な色使い、絵の具の質感などを認識する。

文献で読んだ解説や描写は、実物の絵を見た瞬間に彼方へと消えた。画家の技量、描くことへの妄執的な熱量、作品からにじみ出る静謐さ、荘厳さ。どんなに本で読んでも、画像を見てもわからなかったものを、一瞬で理解した。百聞は一見にしかずというのは本当なのだ。

五感の能力をもっと使うべきだ

「本物を見る」と言ったが、聞くでも、味わうでも、なんでもいい。

上であげた例は主に「視覚」を使っているが、これはいかに人間の目が精巧かの証明だ。どんないいカメラやレンズを使っても、人間の目には敵わない。それは他の器官でも同じである。

聴覚でも、触覚でも、味覚でも、嗅覚でも、本物を体験すると、驚きや感動が待っている。人生に感動(刺激と置き換えてもいい)がもっと増えたら、それだけで楽しい。生きている甲斐がある。

「本物」に触れようとするだけで、ワクワクする人生は能動的に作り出せると思う。

人生を本物で満たしたい

人生を本物で満たしたい、と思う。もっといえば、本物を体験し続けたいと思う。

死ぬまでに、できるだけ本物を見れるだろうか。どれだけワクワクできるだろうか。

リアルに勝るものはない。これは断言できる。

今は便利な時代で、時でも場所でも簡単に超えられる。だから、人は簡単に怠惰になれる。

でも「手短にすませればいいや」というようにはなりたくない。せめて、自分の好きなことくらいは。

油断すると、「本物でなくてもいいや」となりがちな自分に対しての戒めもこめて、「本物にもっと触れる」ことの価値を強く心に刻み込んで日々過ごしていきたい。