何もしたくない「スイッチオフの日」に焦ってしまう人へ

2017年12月4日

何もしたくない日、ってのがある。ずっと布団にくるまっていたい、とか、日ごろやっていることをすべてやりたくないとか。

社会とか人間関係とか家事とか仕事とか生産的行動とか、趣味からさえも遠ざかりたい。要は、「スイッチオフの日」がたまにほしくなる。

そんな時は、身体からのSOSが出ていると思って休んだほうがいい。でも、人間ってのは便利というか厄介というか、生産性のない自分に対して罪悪感を感じる機能を持っている。

徹夜で仕事し続ける人と同じ

何もしたくない日に無理して何かしようとするのは、徹夜して仕事をし続けるのと同じだと思えばいい。

もう30時間一睡もしていない人がパソコンに向かっている。本人は寝たいはずなのだ。体的にもうフラフラで限界だ。それを見ているあなたは、「絶対仮眠程度でもいいから寝たほうがいいよ」「むしろ徹夜しているほうが効率が落ちて結局無駄にならないか?」などと感じるだろう。それが普通だ。

それでも無理して起き続けたら、体を壊して医者に行くはめになるだろう。

「何もしたくない」という身体からのSOSにも、それと同じ捉え方をしてほしい。他人の状況は冷静に考えられるのに、自分に対して人はやたら厳しい期待をしてしまうときがある。

明らかに疲れているのに、無理をおして「生産性のあることを何かしないと」と考えるのは、何も生まないどころか、自分を浪費していくだけだ。

「大したことしていないのに」という思い込み

「いやそれでも毎日当たり前のことしかしていないのに…」「十分に睡眠もとってるし、体が疲れているわけではないのに」と、「何もしたくない自分」を肯定できない自分が出てくる。

物理的に身体が疲れていないのであれば、それは明白、精神が疲れているのだ。精神の疲労具合は目に見えないからはかりにくい。

大したことをしてなくても、「スイッチオフしたい」と思うのは、精神が疲労している証拠だ。体だってたった24時間寝なかっただけでちゃんと機能しなくなるのだ。精神だって休む暇がなかったらくたびれるに決まっている。ただ見えないから測れないだけで。

そこを「私はまだやれるはずだ」「やらなきゃいけないんだ」と無理すると、本当に休むことができなくなって衰弱してしまう。

もちろん、個人差もある。ほとんど休まなくたって全然平気な人、1週間に1回は休養が必要な人、1ヵ月休養が必要な人など。だから、人と比べることなんて無意味だ。

心の欲求には従う

何もしたくないと自分の心が望んでいるなら、何もしない日をせめて1日くらいは作った方がいい。やりたいことがあるならそれをやった方がいいけど。要は自分に素直になるということ。

最低限やらなきゃいけないこともあるだろうけど、できる範囲で「なにもしない」でいい。家族がいたら家族に了解を得る。または仮病でもいいかもしれない。まあ実際風邪みたいなもんだけど。

掃除は翌日に回したっていいし、食事は出前をとったり外食したりするのでもいい。私は食べるのすらめんどくさかったりする(でも空腹にはなる)ので、ご飯だけ炊いてお茶漬けでもすする、みたいな時もある。

布団にずっとくるまっていたかったらそれでいい。「スイッチオフの日」には趣味の読書や映画、ゲームも、私はしたくなくなる。生産的なことを一切しない日だからしたくなかったらしないでいい。

強迫観念が強い人は「スイッチオフの日」ゲーム化してみる

それでもスイッチオフすることを認められない、罪悪感を感じたくないのに感じてしまう人は、「ゲーム化」してみるといい。

ルールは、今日1日、起きてから寝るまで、一切生産的なことをしない。これだけ。

何か生産的なことを思わずしてしまったら、マイナスポイントをつけていく。ポイントの大小は自由に。

例えば朝起きて顔を洗ったり歯磨きをしたらマイナス1点。自分の顔を綺麗にしてしまったのだから。食事は、(私の場合)ご飯炊いてお茶漬け作ったから、マイナス2点みたいに。
いやむしろ食事そのものが私の健康を作り出すのだから、食事した時点でマイナス1点では!?みたいなことをやっていると、ばかばかしいけれど、「あー自分は普段から随分生産的なことしてたんだなあ」と気づくかもしれない。

寝る前に、人によっては結構なマイナスポイントがたまっていると思う。そのポイントは、あなたが1日でこなしたことだ。あなたがどれだけ生産的なのか、自信を持っていい。あなたは十分生産的なのだから、何もしたくない日は、心置きなく休んでしまえばいい。

ちなみに私、今日は「スイッチオフデー」のつもりだったのに、こんなブログを書いてしまっているから、マイナス50ポイント。ちょっと生産的過ぎる。だから明日こそ、オフデーにしてしまおう。それでいいのだ。