【感想】「ゴッホ~最期の手紙」は芸術家の苦しみと愛を閉じ込めた映画

2017年10月13日アート情報・展示レポ, その他アート考察・雑記

ロンドンで「ゴッホ~最期の手紙~(Loving Vincent)」をプレミアで見てきた。世界初の全編油絵で構成したアートワークと、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの衝撃的な死について迫るストーリーが絡まり合って、悲しく美しい芸術品に仕上がった映画だった。

この回では、上映後に監督や俳優の座談会がナショナル・ギャラリーからイギリス全土の映画館に中継された。

ここでは映画の見どころと感想を語っていきたいと思う。ネタバレが嫌な方はUターンしてください。
※ここに出てくるセリフなどは英語で鑑賞したものを訳したもの+記憶を頼りに書いているので、細部は異なる場合があります。

ゴッホの死を追うストーリー

ゴッホの死から1年後。青年アルマンは、ゴッホの友人であった郵便配達人の父から1通の手紙を渡される。今は亡きゴッホが弟のテオに宛てて書いたまま忘れられていたもので、テオを探し手紙を届けてやってほしいと父親は頼むのだった。

しかし、テオもゴッホの死から半年後、失意のうちに亡くなってしまっていたことが判明。ここから、アルマンはゴッホの死の理由を解明するため、探偵のようにゴッホと関係のあった人物に聞き込みをするようになる。

まずはトレーラーを見てもらいたい。

(日本版)

(英語版)

調査をもとにしたフィクション

この映画はフィクションだ。実際に残されたゴッホの手紙や記録を精密に調査した上で、ドキュメンタリー風に作られてはいるが、未だに議論がある「ゴッホはなぜ死んだか」「ゴッホはどのように死んだか」について、考えられうる一つの見方を提案しているものだ。つまり、事実とは言い切れない。真実は誰にもわからないからだ。

ゴッホは友人の画家、ゴーギャンと揉め、自分の耳を切り落とした2年後、37歳で自分の腹を銃で撃って自殺したとされている。ゴッホは精神を病んでおり(実際精神病院にも入院していた経歴がある)、錯乱して自殺に至ったという説が主流だが、別の見解を述べる学者もいる。

この映画は、数ある見解の中で「死ぬ時も、ゴッホは正気だった」という観点を投げかけていた。

人によって全く違う人物像のゴッホ

青年アルマンは、ゴッホの人物像と自殺した本当の理由を明らかにするため、ゴッホが最後に過ごした村、オーヴェル=シュル=オワーズを訪ねる。
そこに住む、ゴッホとかかわった人たちに話を聞きに出かける。

ゴッホは物静かな男だったという人、とても孤独な男だったという人、邪悪な男だったという人、若者たちとつるんでいて、時には女性とデートしているところを見たという人。彼らが語るゴッホの人物像はそれぞれ異なっていた。

ゴッホの主治医だったガシェ医師の娘で、ゴッホと関係があったと見られている女性、マルグリットはアルマンに言う。「殺されたか、自殺だったかなんて、どうでもいいことよ」「起こってしまったことは変わらないわ」。

「彼はとても健康そうで、何の問題もないように見えた」という人もいた。アルマンは疑問を抱く。「何の問題もないゴッホが、なぜ自殺したのか?」
「自分で撃ったにしては傷が不自然だ。距離がある場所から誰かに撃たれたのに違いない」という人もいた。死の間際にそばにいながら、銃弾を取り除かなかったガシェ医師を怪しむ女性もいた。ガシェ医師は美術愛好家でもあり、ゴッホの作品を気に入っており、彼と深い交流があった。

アルマンの疑いは、ガシェ医師に向かっていく。

ゴッホはなぜ死んだのか

ガシェ医師

そしてついに、アルマンは疑惑のガシェ医師に話しを聞きに行く。
ガシェ医師は「たった6週間でも、6時間でも、健康な精神状態から鬱状態に移行することは十分ありうる」とした上で、「私の言葉のせいで彼は死んだ」と述懐する。

この映画で語られる、「ゴッホの死因」はこうだ。(※ネタバレ注意)

ガシェ医師はある日、ゴッホと口論になる。弟のテオに金銭的な援助をずっと要求し続けながら、全く売れない画家であるゴッホが色々言ってくるのにかっとなり、「お前のせいで、弟のテオはそのうちまいって死んでしまうぞ」と暴言を吐いてしまう。

ゴッホはショックを受け立ち去った後、腹部に怪我を負って現れる。彼は村にいる少年にいたずらで撃たれたのだが、それを自分で撃ったといって隠そうとした。
駆け付けたガシェに、ゴッホはベッドに臥せりながら、息絶え絶えで言う。「誰にとっても、この方がいいんだ」と。

ガシェは泣き崩れる。

売れない絶望と自然を愛する目

マルグリット

物語の終盤、マルグリットは凛とした眼差しでアルマンに言う。「彼は天才だったわ。…あの人は自然の全てを愛していた」「だから、私は今でも毎日あの人のお墓に花を供えているのよ」

ゴッホは「描く」ことで、その愛を表現しようとした。

ドン・マクリーンの歌「Vincent」の引用で映画は終わりに向かう。これはマクリーンがゴッホの伝記に触発されて、ゴッホに呼びかけるように作った歌で、冒頭の歌詞「starry starry night」は、同名のゴッホの作品(星月夜)からタイトルをとっている。

‘How you suffered for your sanity, 

(あなたは正気であるがゆえにどれだけ苦しんだか)

(…)

Vincent This world was never meant for one as beautiful as you.’

(ヴィンセント、この世界はあなたのように美しい人のためのものじゃなかった)

Landscape Starry Night over the Rhone

‘Someday death will take us to another star’

(いつの日か、死んだらあの星があるところに行けるだろうね)

―ヴァン・ゴッホ

「ゴッホの絵は、生前一枚しか売れなかった」という一文で、映画は締めくくられる。

私は思った。「今、こうやって世界中の人が高値で彼の作品を買っても、伝記や映画を作っても、どんなに愛しても、もう彼はこの世にいないんだ」と。

もう時間は巻き戻せない。「どうしようもない」という絶望的な悲しさが心に湧き上がった。彼は一度も自分が認められたと感じることなく、この世を去ってしまったのかもしれない。

綺麗なゴッホ像

この映画では、ゴッホの死はかなり美化というべきか、ほぼ美談として描かれていると感じられた。

ゴッホの人生自体は、そんなにきれいなものでもない。弟テオにずっと仕送りを頼むほど貧窮していたのに、売れる絵を描くよう進められても自分の描きたいものしか描かなかった。頑固で付き合いにくく、難しい性格の人物だった。唯一の理解者だったテオにも愛想をつかされたこともある。周りを引っ張りまわし、自分も周りも疲弊していた。

でも、この映画のような解釈の仕方もいいな、と思う。ゴッホはすでに、美術史における伝説である。伝説を伝説のように、美しく描いて、少し違った見方をしただけのことだ。さんざん狂気の面だけスポットを当てられてきたのだから、その反対側を見るのも面白い。

制作の裏側

アニメーション100%だと思っていたら俳優が演技していた

あまり下調べをせず見に行って、アニメーション映画だけど、随分人物がリアルだな、と思っていたら、ちゃんと俳優が演技していたことがわかり驚いた。イギリスとポーランドの共同制作なので、イギリスの俳優が多く出演している。

この映画は、俳優の演技に、ゴッホの油絵調の絵をCGで重ねるという、前代未聞のビジュアルワークで作られている。世界中からゴッホ調の絵を描くためのアーティストが集まったのだ。

描かれた絵は6万5000枚。同じ場面では、動きがあるたびに1枚の絵を上から塗り直して何回も使用するので、合計で描いた絵は恐ろしい数になったはずだ。

上映後のトークでは、アートワークを手掛けた一人であるサラ・ウィンペリスさんが「主人公アルマンが黄色いコートを着ているので、動きを加えるたびに毎回コートの影を黄色で塗りつぶさないといけなくて大変だった。制作人は黄色のコートが大嫌いになったわ(笑)」とその裏話を語っていた。

ヒュー・ウェルチマン監督「ゴッホの人生は私に希望を与えてくれた」

ナショナル・ギャラリーから中継のトークでは、観客からの質問も受け付けていて、その中に「監督はこの映画を製作していた7年間で何かゴッホから影響を受けたことはありましたか?」という質問があった。

今回登壇した、共同監督の1人であるヒュー・ウェルチマン監督は、髭もたっぷりで見た目もゴッホっぽいな、と最初から思っていたのだが、「身体的にも影響を受けたよ(笑)」とジョークを言っていて、「やはりか…」と納得(笑)。

覚えている限りで要約すると、「ゴッホの人生は、僕だけでなく、多くの人の人生に希望を与えている。最初は自分がこんなこと(映画製作のこと)をしてていいのか自信がなかった。でも年数をかけてゴッホの人物像、人生に迫っていくうちに、希望をもらった。
ゴッホは素描を始めたのが27歳、油絵を描き始めたのなんて28歳だ。それでもこれだけ情熱を注ぎ込める。遅すぎることなんてないんだ、という思うようになった。」ということだった。

制作された絵の一部は購入できる

実はこの映画のために描かれた絵の一部が、購入もできるのだという。

公式サイト

数は少ないが、興味のある人はぜひ。

また、オランダの美術館「Noordbrabants Museum」では、映画に使われた絵119枚を見せる展覧会を、2018年1月28日まで開催中。


この映画は、多くの人に見てほしい。フォーカスされがちな「狂気の画家」という側面ではなく、正気と愛を持った人物としてゴッホを描いた。人間の痛みと美しさを表した作品だ。

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