イギリス生活に「慣れ」て行き詰まりを感じたので、自分なりに前に進む方向を考えた

クリスマスシーズンも過ぎ、もうすぐ2019年の終わりという今、これを書いている。この記事を2020年の抱負発表の代わりとしよう。

最近、イギリスでの生活に行き詰まりを感じたので、それを打開するために色々考えていたら、気づくこともあったので、忘備録も兼ねて書いておきたい。

イギリスでの生活に「慣れ」た時

最近、イギリスに住んでから丸5年を迎えた。住む場所を変える、しかも自分の育った文化と全く異なる文化の中で暮らす、というのは間違いなく自分の人生で一番大きな変化で、それだけ余波も大きい。

この5年はエキサイティングだった。生活の基盤を作ろうと必死だった。ロンドンの中でも住む場所を転々とし、仕事も企業勤めからフリーランス一本になったりと色々やった他、一から交友関係を作り、結婚もしたりとプライベートも激動だった。

当初よりもだんだんと景色は見慣れてきて、「慣れなかった」ゆえのトラブルは減り、日々の生活はルーチン化し、刺激も少なくなってきた。

ロンドンが「全然知らない街」から「好きな街」になった。海外を「ホーム」と思う感覚

そして、ロンドンに住むことに「慣れ」て、少し行き詰まりを感じていた。なんだかワクワクしないのだ。もちろん日々変化はあるし、楽しいことも苦しいこともあるが、その振れ幅が小さく充実感が少なくなってきたような気がする。これはつまらない。

イギリスに来たばかりの頃は、郵便局を使う、病院に行く、イベントに参加するなどのことでさえ「ミッション」で、一つひとつこなすごとに新しいことを達成したようなそんな日々だったのを覚えている。仕事においては言わずもがなである。

以前新しかったものに慣れて景色が色褪せるのは、時に成長の証でもある。特に、苦労していたことが苦労なくできるようになり、それにだんだん充実感を感じなくなってくるのは、成長の裏返しだ。私のロンドン生活での色々な苦労はこのブログの「海外生活全般」または「ロンドン・イギリス生活」カテゴリを見てくれれば、物理的なものも内面的なものも随所に見つかるだろう。

行き詰まりの根っこ(原因)は同じ

数年前に、「30歳になったら、節目だし、まだやってなかったこと、やりたかったことを片っ端からやってみる1年にしよう」とぼんやりと考えていたことをふと思い出した。

大学生くらいから、何かの折に触れて「ほしいもの・やりたいことリスト」みたいなものを作っていた。
これは思考の整理にもなるし、考えるだけでワクワクすることばかり書いているので精神衛生上かなり良く、今までの人生でしばしばやっていた。30歳になる時にはそういうリストをまた作ろう、と考えていた。

しかし、気づいたらもう31歳である。そんなことを考えたという記憶すら、忙しい日々の中でどこかに消えていた。

「よし、久々にリストを作ってみよう」と思い立ったけれど、なんか全然やりたいことが出てこない。ほしいもの…やりたいこと…行きたいところ…あれ? なんか2個くらいしか出てこない。前は無尽蔵と言えるくらい出てきたのに。あの美術展に行きたい…それはもう日常のルーチンじゃん、他に行きたいところはないの? 見たいものは?

せっかくロンドンにいるのに、やりたいこと、ないの?

色々なものへの好奇心が薄れてしまったのか、年のせいで感受性が鈍ってきたのかなど、さまざまなことを考えたけれど、頭と心にうっすらともやがかかっているような鈍〜い感じに最近支配されていたのも事実だ。それがワクワクの枯渇としてこんな形で思い知らされてしまった。

ああ、これが慣れか、と思った。

「慣れ」の進度は目に見えない。じわりじわりと、徐々に進んでいく。そしてじわりじわりと、私自身もそれに順応していく。

それに気づかずに自分自身を放っておくと、刺激が薄れ感覚が鈍り、新たな刺激を得ようと思う意思や望みもじわりじわりと消えていく。そうだ、私はそういう人間だった。

常にインスピレーションに溢れていて、体力もお金もずっとあって、超多趣味の人なんかは、同じ環境下でも私のような状態にはならないのかもしれない。でも私はそうじゃないのだから仕方がない。

場所を変えても自分という人間は同じなので

特に今年だろうか。こういうもやがかった状態が特に強くなったのは。だが今年が凡庸な年だったわけではない。仕事では大きな動きがあったし、行ったことない場所にたくさん旅行をしたし、他の年に比べても悲喜こもごもな変化やイベントがあった。けれど、それらはやはり「日常」の中に収まることになってしまったのだ。

私は同じことを日本にいた時も何度も体験した。人生で大きな出来事が起きて、その後それを克服したり、状況が安定したり、環境に慣れたりした時。同じことがロンドンでも起こっている。

住む場所を変えても、結局自分という人間の根っこは同じなので、環境に慣れると同じ問題が起こる。以前、似たようなことを思って書いたブログ記事もある。場所を変えたからって「常にインスピレーションに溢れていて、体力もお金もずっとあって、超多趣味の人」にはなれないのだ。個人の性質はそう簡単には変わらないと、しみじみと思う。

前のステージの終わり

だが、この感覚は「飽き」ではない。私はイギリスが大好きだし、正直ここでの生活めっちゃ楽しい。まだまだずっとここに住んでいたい。

これは飽きでなくて慣れである、と思った時ふと気づいた。

この状態はつまり、慣れられるくらいに安定した環境を得たこと、これまで作ろうとしていた「イギリスでの生活の基盤」ができたことを意味する

それは喜ばしいことだし、ここで暮らしていくにあたって絶対に必要だったことだ。逆に言えば、5年経っても渡英時と同じような状況であったらそっちの方がまずい。

生活に必要な環境を整えたり、新しい環境でスポンジのように物事を吸収したり、最低限の文化を学んだり、一つ一つのことに驚いたりするステージは終わったのかも、と思った。ならば、今度は次のステージに行かなければ。

次とは、安定した生活環境の中で、プラスアルファの刺激を得ること、何か新しいことをすることだ。この「もや」状態は、その時期が来ているよ、を知らせてくれる体(脳?)からの信号なのかもしれない。

と、上記のようなようなことを考えながら「したことのないことをしたい、要は新しいことをしよう」と頭をリセットしていたらやっとスイッチが入ったようで、リストはだんだんと長くなっていった。一度スイッチが入ってしまえば、ああ、これも、あれもやりたいと思ったけなそういえば、と結構すらすら出てくる。行きたい場所もどんどん出てきた。

リストの内容は、人生の目標とか長期計画みたいな壮大なものではなく(壮大なものもあるけど)、明日にでも、または短期間でできるような小さなことも多い。でも、やろうと思っていて今までやっていなかったことだ。

その中で、特にリストで注目している項目が「勉強」だ。

次は、勉強する年にしよう

この5年、とにかく日々の生活一つ一つが常に勉強だった。英語でのコミュニケーションや会話、ビジネスは特にさまざまなことを学んだし、今も学んでいる途中である。

仕事では、フリーランスとして働いていると案件ごと、クライアントごとに必要になるスキルや触れる業界が変わる。仕事を通して結果的に、また仕事のために勉強して得たスキルや知識は数え切れないし、だから私は仕事が好きだ。

このように、日々の生活や仕事で自然に、受け身に、そしてある種強制的に物事を学ぶ機会はたくさんあったし、今でもある。そしてそれは人生で大事なことの上位に食い込むと思っている。

だが、イギリスに来てから自分の楽しみとして「○○を学ぼう」と自覚を持って行動を起こしたことはあまりないのも事実だった。新しい環境に慣れるための日々で精一杯だったし、上記のような受け身での学習ですでにいっぱいいっぱい、容量満タン状態だったからというのもある。つまり、今は自分に少し余裕ができたということなのだろう。

例外として、今年の夏、英語の発音矯正スクールに4ヶ月ほど行った。週に1回、少人数のクラスで大変プロフェッショナルな先生にイギリス発音のイロハをみっちりと習った。とにかく知らなかったことを知るのが楽しくて、クラスがある日はものすごく充実感があったのを覚えている。

このことを思い起こしながら、独学だとしてもスクールだとしても次に勉強するとしたら何にするかな、と考え始めたら、いきなりパッと気分が明るくなった。ああ、私はきっと今能動的に勉強する時期に来ているのだ、と感覚で理解した。

生活に必要なことではなく、好奇心や純粋な興味で学びたいことを学びたい。語学や(スペインが好きでよく行くのでスペイン語とか、英語の文法を再度学び直すとか)、スマホでのうまい写真の撮り方などいいなと思っているし、特定のものを絵に描けるようになりたいから研究するのもいいと思っている。

すべて、「できるようになったらこういうことが可能になるな」「できるようになったら楽しいな」と思うもの。他にも思いついた時にリストに加えていくつもり。マインドセットよりも実際に着手することの方が大事なので、すでに始めているものもある。

そして、完全に自分の興味ありきなので、やってみて合わなかったらやめればいいし、誰にも文句は言われない。素晴らしい。

というわけで、2020年のテーマは「勉強する」にしようかな、と考えている。あくまで気楽に、気軽に、自分が楽しめる、けれどもこれまではやってこなかったことを。

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