音声の大小と、コミュニケーション法の静と動に見る日本人と西洋人の違い

2018年10月23日ロンドン・イギリス生活, 英語

日本に一時帰国した時、そしてイギリスに戻った時、日本とイギリスの「音(声)」の違いに気づくことがある。

「音量」に関する日本とイギリスの違い

それは、

  • 日本語は英語より静かな言語だということ
  • 日本人は西洋人に比べて音に敏感なのかもしれないということ

の2つである。

個人的にこの2つは互いに関係がありそうと思っているのだが、どちらが先なのかはよくわからない。音に敏感だから静かな言語になったのか、静かな言語だから音に敏感になったのか。

この「西洋人」というのはひとまとめにくくれるものでもないのはわかっているが、ロンドンに住んでいるとイギリス人以外の西洋人ともかかわる率がかなり高く、その中で思ったことなので西洋人というくくりにしている。

これにかんして思ったこと、感じたことを書いていく。別に言語学や音声学などに造詣が深いわけではない、ただの一個人の所感だということを念頭に読んでいただきたい。

日本語は静かな言語である

日本語は英語に比べて、静かに喋る言語だ。英語のように抑揚があれば必然的に大きい音も入ってくるが、日本語は抑揚が少なく平坦に音が続いていくため、声の大きさも割と一定になる。

抑揚がなく口を大きく動かさないから、大きな声も出ないのではないかという気もする。日本語を習ったことのあるイギリス人は、「日本語を話すのはあまり口を動かさなくていいから楽」と言っていた。
逆にその人に「日本人が英語を話すときは、口を大きく開けないといけないから大変でしょ?」と訊かれて、実際そうだと答えた。

渡英したての頃、日々の会話が日本語→英語に変わっただけで、口周りが筋肉痛になった。それくらい、英語は口を大きく動かすのだ。今は慣れてもうそんなこともないけれど。

日本人の話す英語は静かすぎる

ちょっと本題からそれる。

イギリスでは人の話し声がめちゃめちゃ大きい。
パブでも電車やバスなどの交通機関でも、電話でさえも、日本人からすると騒がしいくらいに大きな声でよく喋る。

イギリスでの声量に慣れてしまうと、日本人の会話はほとんど聞こえないくらいに小さい。

この記事でも書いたが、日本人が英語を聞き取ってもらえない理由の一つに、「声が小さすぎる」ことがあると考えている。理解されないのは、たいてい相手に聞こえる音量で話していない、つまり「聞こえていない」のだ。
逆に、発音や文法があまりできていなくても、大きい声で話せば何が言いたいかくらいは、相手も読み取ってくれる。

また、日本人は抑揚をつけて喋るのに慣れていないので、日本人にとっては「やりすぎかな?」というほど、抑揚のある部分は強く(=大きい音を出す)話さないと、意味を理解してもらえない。

日本人は音に敏感なのでは?

静かな言語であることが関係しているからか、日本人のもともとの性質なのか、自分も含めて、日本人は音に敏感な気がする。

日本では皆が静かなので、少しでも大きい音や声は目立つ。皆が音に敏感なのだ。

公共で少しでも大きい音を出すと即座にマナー違反となる。もちろん、イギリスでも過度に大きい声や音を公共の場で出し続けるのは迷惑行為である。ただ、その基準が日本は厳しいな、と日本に帰ると感じる。

また、イギリスで暮らしていても、音に反応する度合いが自分も含め日本人の方が高い気がする。周りの西洋人は自分の周りで音が出ても、よほど大きなものやうるさいものでないと気付かないように見える。

コミュニケーション法も静と動で異なる

声の大小は、その他(言葉以外)のコミュニケーションの騒がしさとも比例しているような気がする。

なるべく「静かな」コミュニケーションを発達させた日本人

「なるべく静かにする」ことを好む日本人は、静かなコミュニケーションの方法も発達させたのだろうか。

ここには、静かな話し方とは別に、もう一つのファクター、「意見や思想をはっきり言語化しない」という日本人の性質も関係しているだろう。

言葉ではっきり言ったり主張しない代わりに、空気を読んだり、些細な表情や仕草から感情や考えを読み取るのが、日本人はうまい。そうしたボディランゲージですら「静か」だし、また、他人に物理的に触れることもしない。

言葉に頼らず、相手に触らずにコミュニケーションを成立させる文化なので、そのぶん明確さや確証性は生まれにくい。だからなのか、ふわっとした婉曲表現や、物事が白黒はっきりしないままでもよしとする文化が日本にはある。

それとも逆かな、ふわっとした表現を好むから、空気を読んだり仕草を読んだりするようになって、言葉にしなくても良い道を選んだのか。

はっきり言葉にし、大きなボディランゲージのある西洋文化

西洋人はその逆で、「騒がしい」コミュニケーションである。大きな声で自分の考えをはきはきと言葉にする。

だがこれでも十分でないというように、加えてさらに(日本人には大げさにも見える)身振り手振りや表情などのボディランゲージを付け加える。日本のボディランゲージが「言葉を補う」ものである一方、西洋のボディランゲージは「言葉を強調する」ものだ。
日本人同士なら読み取れる静かな表情や空気の変化は、西洋人には気づかれないことが多い。

そして、日本人よりも直接「相手の体に触れるコミュニケーション」が多い。
これは、挨拶の握手に始まり、親しい人同士の挨拶のハグ、恋人ではなくても肩に触れたり手をとったり、日常的に相手の体に触れる機会が多くある。

このように、はっきりと言葉で表し、身振り手振りで強調し、さらに相手に触れることで自分の意思や好意を伝えるという、盛りまくっていくコミュニケーションは、明確に白黒つけて自分の意見を相手に示す方法である。


つらつらと書いてきたが、もちろん、日本と西洋それぞれの言語やコミュニケーションが今のように発達した背景には、もっとさまざまな文化的、言語的な背景が絡み合っているだろう。

ただ「声の大小」が、「コミュニケーションの静かさと騒がしさ」とリンクしているように感じられて興味深いと思った。イギリスに住めば住むほど「日本人は大人しい」という印象を持たれる理由がわかってきた。逆に日本にずっといたら、日常で比較対象が少ないので気づかなかっただろうと思う。

同じ人間なのにこんなにも違う。こうした違いに触れられるから、異なる言語や文化に触れることは面白いし楽しい。